11.はっぴいえんど?負け犬の遠吠え:はっぴいえんど?私は基本的に『悲劇(とらじぇでぃ)』を見るのが苦手である。 何が悲しくって短い人生の中で哀しい物語を見なきゃいけねえんだ? なんて言っちゃいるが、涙もろいことが最大の原因だと思っている。 だから『喜劇』や『はっぴいえんど』が約束された物語ばかりを見てきた。 一切の『予定調和』を嫌うのは、そんな自分への戒めなのかもしれない。 『はっぴいえんど』は、必ず『それから二人は幸せに暮らしました。とさ。』で終わる。 だが、『はっぴいえんど』な物語って考えてみれば非常に残酷な結末が待っているような気がする。 名作『白雪姫』なんて、眠り続けてるって云っちゃいるが或る意味『死体』にキスした王子様と結婚する話である。 『死姦』愛好癖のある王子様との結婚である。 『白雪姫PART2』があるとすれば、全く違った趣の物語になることだろう。 或る意味『ゾンビ』なんかよりも背筋がゾッとする。 『シンデレラ』なんて片方残された『ガラスの靴』を国中の女性に履かせて、その持ち主を探す。 どっかの国の皇太子は、遠くロンドンまで某雅子妃を追っかけた、ストーカーである。 でも国中の女性に片っぽの靴を履かせて廻った『靴』フェチの王子様なんて、この皇太子の比ではない。 こんな人物と本当に幸せな結婚生活なんて送れるんだろうか? ・・・非常に疑問である。 大きなお世話だが。 独逸語原作で、本来は「大文字」だった単語の頭が、誤植で「小文字」になった。 だから、作者は『皮の靴』って書いたのに『ガラスの靴』になってしまったと聞く。 『皮の靴』より『ガラスの靴』の方が『靴フェチ』には相応しい様な気もするが・・・。 『靴フェチ道』では『皮』か『ガラス』か、本当はドチラが良いんだろう? 門外漢の私には良く判らない。 何事も『道』の世界は深い・・・如何でも良いことだが。 「『ロマンス小説』ってのは最後に女の子がお城を手に入れる物語だ」って若竹七海女史が著書『古書店アゼリアの死体』の作中人物「アゼリア」店主前田紅子に語らせる。 そうか・・・。 『はっぴいえんど』ってのは、女の子が「お城」を手に入れればいいんだ! だから、王子様の性癖は置いといて、ミーンナ最後には『お城』を手に入れる。 ・・・でもそんな単純な問題なのだろうか? 『お城』を手に入れるしんでれら・どりいむは故グレース・ケリーで終わってしまった。 いや、故英国皇太子妃か? でも彼女は保母さんをしていたものの、元々スコットランドの公爵家の人間だし・・・。 何にしても彼女等の最期はトテモ『はっぴいえんど』なんてもんじゃなかったが。 だから現代の『はっぴいえんど』は、最後に獲得するものが『お城』から『愛』なんてもんに変わっちまった。 流石に『お城』は非現実的なんだろう。 でも『愛』って何だ? 自称「うつ」後遺症でアニメばかりを見る生活を送っている。 『妖・妖師(あやかし・あやし)』なんてアニメが放送されている。 専らネット配信で見ているのだが、江戸時代の『妖(あやかし)』を『妖師(あやし)』と呼ばれる主人公達が退治する話である・・・単純に言えば。 その中では、『妖(あやかし)』などが本来に持つ『本質=文字』が重要なテーマになる。 先日の話では、『愛』って『文字』が話の中心になった。 『愛』ってのは『心を残して去る人が後ろを振り向く姿を現したものだ』と云うことだ。 ホントか如何か・・・全く怪しい話ではあるが、妙に納得してしまう。 何故なら、日本古来の和歌には『愛』なんてもんは極端に少ない。 何時でも『恋』の詩である。 『愛』の本来の意味が『心を残して去る人が後ろを振り向く姿を現した文字』ならば、『愛』に未来はない。 どっかの国の内親王にも『愛』なんて文字が入っているが、名前が公表された時に凄く違和感があったのを覚えている。 未だ果たせぬ夢『恋の詩』。 心を残して去る『愛の歌』。 当時の日本人の好みは、『未だ果たせぬ夢』だったんだろうな・・・屹度。 現代は『愛』が氾濫している。 想い人を、果たせぬ夢を追うなんてマダルッコシイことをするより、手っ取り早く『愛』を獲得し、飽きたら直ぐにポイ・・・。 時間に急き立てられる現代人は、もう『恋の詩』を詠っている暇なんてないんだろう。 私は独り旅が好きだったので、このブログにも旅の話を良く書いている。 『旅』が一番面白いのは、計画を立てている時である。 実際に『独り旅』が始まってしまうと『楽しい』と思っている暇なんてない。 発展途上国の治安を考えれば、ボーっとしている時が一番危ない。 だから、『旅の間』は異常なぐらい緊張しているし、貧乏旅行で金がないんで、ディパックを担いで1日十何キロも唯只管歩く。 そんな『旅』は『苦しい』って思うことはあっても『楽しい』なんて感じたことは一度もない。 だが、日本国に帰ってきて1週間位経って、漸く緊張や疲れが取れる頃、出会った街や人々のことが思い起こされる。 何て素敵な『旅』だったんだ・・・って次の『旅』の計画を始めてしまう。 だから『旅』なんて『一種の麻薬』のようなものだと私は思っている。 40歳を過ぎてはいるが、カミさんが逃亡している今、私は『愛』なんて良く判らない。 この数年は「うつ」ってことで眼の前の現実さえ良く見えなかった。 そして、今、漸く・・・。 40歳を過ぎてしまったが、また、見果てぬ夢を追いかけようとしている。 それが『恋の詩』なのか『辛い独り旅』なのか・・・未だ知らないが。 |